がん離職「3割」の衝撃――患者が仕事を続けるために必要なこと (yahoo japan news )4月4日(月)9時11分配信
「がん」は長年、日本人の死因1位だ。2人に1人はがん にかかる。医療の発達により「不治の病」ではなくなってきたが、がんと診断された後に仕事を辞める人の割合は3割を超える。がんが判明したとき、今の仕事 を継続できるかどうか、職場の理解や支援制度はどうか。健康な人はふつう、そこに思いを巡らすことはない。あなたも「自分は大丈夫。絶対、がんにはならな い」と思っていないだろうか。(Yahoo!ニュース編集部)
「一番の心配はお金のことだった」
[最担心的问题就是金钱的事情]
「精巣がん」が見つかったのは、2007年4月だったと いう。「緊急入院だったので、心配する暇もなかった」。名古屋市に住む田中孝憲さん(41)は、9年前の出来事を鮮明に覚えている。機械系エンジニアで自 動車部品の設計などを手掛けていた。当時32歳。経験も積み、働き盛りだった。
住在名古屋的田中孝憲先生(41岁)他非常清楚的记得9年前的2007年4月被检查出[精巢癌],[当时是紧急入院,根本没有时间考虑其他的事情]。当时的他是32岁,是一家机械类公司的汽车部件设计工程师,又有经验又有干劲的时期。
手術を受けた田中さんは順調に回復し、翌月の5月には職 場復帰も果たす。体調も戻り、以前と同じように仕事を続けたという。状況が一変するのは、病状が再び悪化した秋からだ。がんの転移が判明したことから、仕 事を休んで入院し、抗がん剤の治療に専念することになったのだが――。
田中先生做完手术经过一段时间的调养,在第二年的5月回到工作岗位上。身体情况也回到生病前的状态,有回到以前的工作状态。万万没想到就持续了几个月,从秋天开始他的病情有恶化了。确诊癌细胞转移,又再一次请假住院治疗,每天用抗癌药剂想早把癌症消除。
30代前半で「がん」と診断された田中孝憲さん(撮影:長谷川美折) 癌症确诊时30多岁田中先生照片
入院は4カ月間に及んだ。抗がん剤の副作用がつらかったと言う。「吐き気、倦怠感。毛が抜ける。倦怠感が一番つらい。イライラ、元気が出ない。(薬による)発熱も辛かった」。それと並行し、生活も苦しさを増していく。
入院4个月时,因为抗癌药剂的副作用非常痛苦。[呕吐,疲惫,脱发。无力感最感到痛苦。无精打采,没有精力。吃完药后发烧也很痛苦],同时在生活上也过的越来越辛苦。
基本給は入院中に出なくなった。その状態で、治療費や入 院費用がかかった。毎日の生活費もある。「普通に仕事してその収入で生活するのとは、訳が違った」と田中さんは振り返る。蓄えの余裕は無くなり、健康保険 の傷病手当金で暮らす日々が続く。「手当が無ければ大変なことになっていた」ところを、今度は思いもしなかった出来事に襲われてしまう。「退職」である。
住院期间是没有工资的。在那种状态下,还要支付治疗费和住院费和每天的生活费。[工作就是做的时候有,不做的时候就没有]田中先生重复的说着。积蓄也花光了,就靠着健康保险金来维持平日的生活。[如果没有健康保险金的话真的不可想像],在这时候万万没有想到的是等来了[退职]。
離職理由を説明する書類には「休職期間満了」と記されていた(撮影:長谷川美折)
离职理由的书面记载说明是[休职期限满]。
入院中の田中さんに対し、会社は「休職期間が過ぎた。退職してもらうしかない」と告げた。寝耳に水の話だったが、結局、退職願にサインせざるをえなかった。生活は一気に苦しくなった。田中さんは語る。
对于住院中的田中先生,用[休职期限满]为理由,让他退职。闻所未闻的事情,虽然不能理解但结局还是只能在退职书上签字。田中先生说 生活一下子掉到了谷底。
「退職後は、後から入ってくる傷病手当金、失業保険、貯金の切り崩し。後は親からの援助。働かないと生活できないので、派遣として働いた。一番の心配はお金のこと。今思えば、会社の人に詳しく話して理解してもらいたかったが、安心して話せる人がいなかった」
[退职后,靠着就只是伤害保险金,失业补助金,低保户补助金,还有父母的支援。因为没有工作真的没有办法生活所以就在人才派遣机构找了钟点的工作。最担心的确实是金钱的问题,当时的确想找公司里的人说明情况给我听但是找不到一个可信任的人。]
田中さんは「会社にはがん治療に対する理解がなかった」と振り返る(撮影:長谷川美折)
田中先生[公司对于癌症治疗没有给与正确的理解]
「生きることを感じるためにも、仕事は大切」
[工作对于感受生命的意义来说占据重要意义]
新たにがんと診断される人は年間約85万人を数える。そのうちの約3割が働く世代(20歳~64歳)だ。
仕事との関係でみると、さらに衝撃的なデータもある。静岡県立静岡がんセンターの研究班による2013年の調査によると、がんになった人の34%は仕事を辞めているのだという。
每年被诊断出得癌症的人数已超过85万人。其中3成以上都是社会工作生力军(20岁–64岁)之间。
对于工作有何关系呢,有具有冲击力的数据为证。据静岗县静岗癌症中心的研究班调查,得了癌症的人34%把工作辞了。
がん患者の3割が自ら「退職」という道を選んでいる 癌症患者3成都是自己选择退职的路
仕事と治療。その両立の難しさを前に、多くの人が自らのキャリアを頓挫させてしまったと考えられている。
工作和治疗。在两者很难并存的情况下,很多人不得不考虑牺牲自己的工作经历,经验。
岐阜県に住む横山光恒さん(46)もそうした1人だ。システムエンジニアだったちょうど10年前、悪性腫瘍が見つかり、手術と治療でおよそ14カ月間休職した。復職したものの、2階級降格となり、収入も激減。ついには、退職勧奨を受け、2011年に退社に追い込まれた。
住在岐阜县的横山光恒先生也是其中一人。网络技术工程师,刚好在10年前,发现了恶性肿瘤,因为手术和治疗的原因休息了14个月。当他想回到工作岗位时,职务被降了两级,收入也减少非常多。之后,又收到退职劝告书,2011年最终还是落到退职的结果。
がん治療がきっかけで退職を余儀なくされた横山光恒さん(撮影:長谷川美折)
因为癌症治疗导致被劝退职的横山光恒先生(摄影:长谷川 美折)
横山さんも治療費や生活費に苦しんだ。その一方で、お金より大切なものがあるとも感じた。「生きていることを感じるためにも仕事はとても大切」だったからだ。実感を込めて、横山さんはこう言う。
横山先生为治疗费和生活费所苦着。而另一方面也感受到比金钱更重要的东西[工作是感受生命的重要东西]。这是横山的真实感受。
「ずっと仕事ばかりやって、言えないくらい残業もやって、頑張っていたつもりだったが、病気で働けないとなった時、意外と企業は理解がないんだな、と。『がんだから』と言われてしまうと、もう努力のしようがない」
[一直都是工作狂,数不清的加班,非常努力的工作,当自己得病了不能工作的时候却得不到公司的理解。换来的是一句话“因为你得了癌症”所以觉得再继续努力也没用了]
そうした経験をもとに、横山さんは今、NPO法人・がんサポートセンター(岐阜市)の副理事長として活動している。「仕事を辞めなくて済むような、がんであっても働けるような手伝いができないか」と考え、がん患者の支援を続けている。
因为自己有了这一份的人生经验,现在横山先生担任 NPO 非盈利集团・癌症援助中心(岐阜市)的副理事长工作。[帮助癌症患者不用辞职,得了癌症也可以继续照常工作],坚持在工作岗位上。
横山さんは右脇下に悪性腫瘍が見つかり、摘出手術を受けた(撮影:長谷川美折)
上图是横山先生的右手臂发现恶性肿瘤,做过手术的照片。(摄影:长谷川 美折)
がんサポートセンターのように「がんになっても仕事を続けることができるように」という動きは、実は各地で芽吹いてきた。同じ東海地区で活動する支援グループ「ブリッジ」。医療関係者やキャリアカウンセラーらが集まり、患者の就労支援に携わる。
现在像癌症援助中心这样的机关和组织也在各地开始发芽了。在东海地区的活动支援组织[buriji] 也集合医疗关系人员和人才派遣中心机构的力量来帮助患者的就业。
「ブリッジ」は2015年、がんと告知された時点で働い ていた327人を対象にその実情を調査している。仕事を継続している人も200人近くいた。だが、離職者も133人いた。しかも辞めた人のうち、ほぼ半数 は「仕事を続けようと思えば、そうできた人たち」だったという。企業の論理ではなく、自ら身を引く。その理由を代表の服部文さんはこう分析する。
「がんだから辞めないといけない、と。『がん=死』のイ メージがすごく強い。医療の進歩で5年前、10年前とは全然違っていることを含め、正しい情報を知ることが大事」。医療の進歩を知らずに早々に諦める人、 がんと知った衝撃から壮絶な闘病生活の準備を始める人、家族らから働くのは無理と言われる人……。そういった人々の状況は、正しい情報を知ることで変わる と、服部さんは考えている。
[buriji]机构在2015年度做了一个实况调查,在就业时被告知得癌者,327人当中有近200人表示愿意继续工作。但也有133人表示要辞职。但在表示辞职的这些人当中,一半以上觉得如果自己想继续工作的话,也可以继续工作]。以服部先生为代表的辞职患者中认为[得了癌症不得不辞职,癌症=死 的这种意识很强。这可能是停留在5年,10年前对医疗的认识,要有正确的情报很重要,现在的医学已经很进步了,不知道就放弃的人,准备和癌症做抗争的人,家人对你说不能工作的人………服部先生想着如何让这些患者能够正确的认识并面对癌症。
病院内のがん相談支援センター。患者に正しい情報を伝えるのも役割の一つだ(撮影:長谷川美折)
医院里面的癌症谈心支援中心。是给患者正确咨询的地方(摄影:长谷川 美折)
がん治療と仕事の「両立」を支援する新たな動き
对于癌症治疗和工作并存支援的新动态
医療現場でも、「がん患者と就労」をめぐる取り組みは始まっている。その現場を見るため、名古屋第二赤十字病院を訪ねた。乳腺外科副部長、赤羽和久医師は乳がんの専門家だ。
「検査が全部終わって、こういう治療を、と話したとき、すでに仕事を辞めている人が結構いた。早まって辞めなくていいんじゃないか、と。病気を苦にして、中身をまったく知らないうちに辞めていく。臨床現場からすれば、それだけはふせぎたいな、と」
医師のプライドを感じさせる言葉だった。
在医院,医生,工作人员也参与[癌患者与就业]的活动。为此还特意拜访了名古屋第二红十字医院的乳腺科专科医师赤羽和久先生。[检查全部结束后,跟患者说明怎么一个治疗癌症的方法和步骤,也有一些患者还没听医生的建议就已经把工作辞了。为了患者不要在完全不了解癌症的情况下辞职,所以医院尽量临床检查结束后对患者做一些癌症知识的普及]。
「がん患者と就労」の問題に取り組む赤羽和久医師(撮影:長谷川美折)
照片为赤羽和久先生和患者对于[癌症患者与就劳]问题进行讨论(摄影:长谷川 美折)
では、赤羽医師は何を試みているのか。
「がんを告知するとき、まず仕事のことを聞き、辞めなくていいですよ、と付け加えます」。がんは不治の病。かつてはそんなイメージが強かったが、いまは変わりつつあるからだ。がんの種類によっては十分に治癒が見込めるし、長期にわたって付き合える病気になってきている。
赤羽医師は「仕事をすぐに辞めなくていい」と患者に告げ たあと、期間を定めた治療計画を表にして示す。その資料があれば、職場の理解も得やすい。「がんだから」ではなく、最新の知見と技術に基づいて、当人にも 雇用主側にも、貴重なキャリアを中断させないように、と訴えかける仕組みだ。
那么,赤羽医师是用什么形式来指导患者的呢。
[当被查出得癌后,首先要问患者的工作情况,然后一定要加一句“工作没有必要辞职哦”]以前癌症好像是不治之症但是现在时代不同了哦,根据癌细胞的不同种类是可以治愈的,也可以变成身体可以长期承受的病,所以无须慌张。赤羽医师告诉患者[工作可以继续],然后给患者制定定期治疗计划。有了这份计划书公司那边也会相对理解。而不会把癌症作为劝退的理由,用最新的技术告诉患者和公司,让双方都有一个了解,咨询,交流的平台。
名古屋第二赤十字病院の診察室。がん患者は自分自身と向き合わなければいけない(撮影:長谷川美折)
名谷屋第二红十字医院诊查室。癌症患者必须对着镜子慢慢适应并习惯自己的变化。
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